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吉田松陰の人生略歴3《松陰の性格》 [吉田松陰の人生略歴]

吉田松陰の人生略歴3《松陰の性格》



吉田松陰という人間の性格を一言で言えば



”まっさらな人”

”誠実な人”

”信義に篤い人”

”人を疑うことを知らない人”

”約束を命がけで守る人”

”勇断実行の人”

”明るく前向きな人”

”勤勉・真面目な人”

”公に生きる人”




まだまだあるかも知れません。



友達にしたらこんな素晴らしい親友はないでしょうね。



松陰のことをよく知らない方でも何となくこういった印象が
頭の中にあるのでしょうね。



吉田松陰ときいて彼を悪く言う人をみたことがありません。



さて松陰。



実はこの人格ゆえに自ら縛(ばく)に着き、自ら罪を明らかにしてしまう ことになります。



その辺で遊んでいる小さな子供でも持っているような処世の術を
彼は一切持っていませんでした。



ちょっとでも気が回れば下田でのアメリカ渡航失敗をもって自ら
代官所へ自首などせず、大望達成のため後日を期すべくその場から
逃走することもできたはずです。



船を漕ぎ出した現場は誰も目撃してはいませんでした。




photo_2 (1).jpg
http://yoshidasyoin-special.blog.so-net.ne.jp/2014...



海から戻った松陰はずぶ濡れの身体で近くの名主宅を訪ねて代官所
へ自首する旨を告げますが、名主にしてみれば見て見ぬ振りをして
逃がしてあげたかったのですが、
「法を犯した以上は自首せねばならない」と主張する
松陰をもてあまし、仕方なく代官所に通報します。



こうして江戸・小伝馬町の牢に入ることになります。



渡航の目的が達せられなかった場合は自首して出るつもりでいたの
でしょうね。



事が露見した場合、藩主に迷惑がかかることをも考慮したのでしょう
か?



古代ギリシャの哲学者ソクラテスが、裁判にかけられ死刑判決を
言い渡されたときに言った「悪法も法である」という言葉が思い出
されますね。



もう1つ松陰のまどろっこしいまでの正直さを示すエピソードが
あります。


幕府からのお尋ね者の攘夷論者の梅田雲浜(ウメダ ウンビン)との蜜謀
の疑いと京都の御所内での落とし文の件で江戸の評定所で尋問を受け
た際の事です。



上記の2件について松陰に罪無しと取調官らは確信します。
むしろこの青年に好感さえ覚えます。



ただ直接尋問に当たる吟味役がひどく優しい口調で松陰の思う憂国論
を尋ねます。誘導尋問だったのです。



自分の主義主張を赤裸々に申し述べれば、たとえ幕府の取調官であっても
きっとわかってくれる・・・と信じて彼の行ってきた行動や企てをも
吟味役以下全員が呆然となるほどの正直さで一切を語っていくのです。



松陰は吟味役の老獪さを見抜けず、いや、見抜こうともせず、自分の
罪状を訊かれもしないのに洗いざらい述べてしまったのです。



むしろ国難回避の自分の考えをこれらの高級役人に訴える絶好の機会
と捉えていたようです。


結果、死罪となります。


あー、なんて馬鹿なことやってるんですかー・・・イライラします。



でも「革命に生きる」とはそういう事なのでしょう。



こういう人格があって松下村塾で影響を受けた数々の若者が火の玉
となって革命運動を推し進めたのですね。



もし松陰が自己の危難を逃れるためにのらりくらりと小手先で相手
に迎合するような人格であったなら若い志士は誰もついていかなか
ったことでしょうし。



次回はこういう松陰の人格形成に影響を与えた人物にスポットを当て
てみます。


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