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吉田松陰の人生略歴2《家族》 [吉田松陰の人生略歴]

吉田松陰の人生略歴2《家族》

父 杉百合之助(スギユリノスケ)


26石取りの下級藩士
   子供たちの教育に熱心で温和な性格。

   もともと無類の読書好きで、また熱心な勤王家
   でもあったそうです。

   後に百人中間頭(ひゃくにんちゅうげんがしら)
   と盗賊改(とうぞくあらため)の役職に就く。

   松下村塾に協力。
   自らも生徒となった。

   慶応元年(1865年)62歳で没。

   大河ドラマでは長塚京三さんが配役されています。



母 杉 滝(スギ タキ)


明るい性格で家じゅうを常に楽しい雰囲気に。
   ポジティブで楽天家。太陽のような肝っ玉母さん。

   晩年には皇室より恩賞も受けた。

   明治23年(1890年)84歳で没。

   大河ドラマでは檀ふみさんが配役されています。



兄 杉 民治(スギ ミンジ)


通称ハ梅太郎ともいう。

   父親ゆずりの冷静で温厚な性格。
   松陰のために物心両面から尽くす。

   後に藩の役人となり各地の民政に携わり大きな
   成果を上げた。

   民治という名は藩主から与えられた褒美の名前です。

   父とともに松下村塾の最初の生徒となります。

   明治9年(1876年)に退職してからは松下村塾を
   引き継ぎ、子弟の教育に当たります。

   明治43年に没。享年83歳。

   大河ドラマでは原田泰造さんが配役されています。



妹 杉 千代(スギ チヨ)


松陰より2つ下。

   年齢が近いせいもあり兄の民治や松陰とは特に
   仲が良かった。

   子供の頃からよく母を手伝い、弟妹の面倒をみていた。

   藩士・児玉初之進(祐之)に嫁ぐ。

   松陰の手紙を大切に保管しており人間松陰に
   触れられるのは千代のお蔭です。

   また、よほど腹の座った女性で、叔父の玉木文之進
   の切腹に際して介錯をしています。

   現代人ではとても考えられないことですね。
   大正13年(1924年)93歳で没。




妹 杉 寿(スギ ヒサ)


   松陰より9つ下。
   松陰の2盤目の妹。
少し活発な妹。

   楫取素彦(かとりもとひこ)の最初の妻となる。
   明治になり群馬県令となった夫を支えた。

   明治14年(1881年)43歳で没。

   大河ドラマでは優香さんが配役されています。




妹 杉 艶(スギ ツヤ)


   早世します。



妹 杉 文(スギ フミ)



   はじめ久坂玄瑞の妻となる。15歳であったそうです。

   久坂玄瑞は禁門の変で自刃して亡くなってしまいます。
   わずか7年の結婚生活で、なをかつ玄瑞は東奔西走で
   留守が多かったのです。

   玄瑞は21通の手紙を妻の文のもとに送っています。
   これらは「涙袖帖」と名づけられました。

   玄瑞を失った文は一時召されて藩主の幼君(毛利元昭)
   の守役を務めます。
   この時、美和子と改名します。

   後、楫取素彦に嫁ぐ。

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公になりますね。

   井上真央さんが主役を務めます。




弟 杉 敏三郎(スギトシサブロウ)


   生来の聾唖(ろうあ)であったそうです。
   習字が得意で読書好きであったとのことです。
   要望が松陰によく似ていたとも言われています。

   明治9年 32歳で病没。




叔父 玉木文之進(タマキ ブンノシン)


  
 父の百合之助が松陰の初等教育を行ったといえますが、
   松陰の中等教育~高等教育の一部までを担当したのが
   叔父の玉木文之進でした。



   6歳から13歳までの松陰を教育しています。

   
   実は松下村塾というのはこの玉木文之進が始めたもの
   です。


   玉木文之進が藩に出仕するようになり、松下村塾は一旦
   閉鎖されますが、養父・吉田大助の弟子であった
   山田宇右衛門(ヤマダ ウエモン)が松下村塾を引き継ぎ、
   13歳から18歳までの松陰を教育していきます。



   従って松陰は松下村塾3代目の塾長ということになります。



   この玉木文之進、松陰に対して徹底的なスパルタ教育
   を行います。


   気に入らない行為があると殴る、蹴る、突き落とす・・・
   松陰曰く「よく生きていたものだ」の厳しい教育でした。



   今のPTAが聞いたら卒倒するようなスパルタ教育です。



   「おまえは公人である。」という教育です。



   ではただ厳しいだけの人であったかというとそうでは
   ありません。


   年に数度のお休みの時などには生徒達と踊ったり、ふざ
   けたり、とします。



   松陰や他の生徒が病気でもしようものなら、オロオロして
   心配します。



   藩に認められ地方代官を歴任しますが、困窮する農民に
   涙を流したり、頂いた特別手当などは貧民救済に使ったり
   するような人物でした。



   長州で起こった不平士族の反乱「萩の乱」に自分の門人が
   多く参加しているのを見て、責任を感じて先祖の墓前にて
   切腹。介錯は杉 千代。


   明治9年(1876年)67歳で没。


   大河ドラマでは奥田瑛二さんが配役されています。
   どんな玉木文之進を演じてくれるのでしょう。



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