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吉田松陰と時代背景2 ペリー来航と不平等条約 [時代背景]

時代背景 続きです。



幕末から明治維新までの期間をここでは1853年から1868年ということに
しておきましょう。



1853年はペリー来航の年で、1868年は明治初年です。
前年に徳川幕府から朝廷に大政奉還がなされています。



この15年間こそが幕末動乱の期間といえると思います。



その間に起きた重大事件を時系列で整理しておけば
大河ドラマ「花燃ゆ」の理解にも、本の通読にもお役に立てるかな、
と思います。



1853年(嘉永6年)6月
アメリカ東インド艦隊司令長官ペリー率いる4隻の
軍艦が、江戸湾入口の浦賀に現れます。
いわゆる黒船到来というものですね。
日本の近代の幕開けとなります。

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引用 http://ameblo.jp/hakkouichiu/entry-10043645004.htm...


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引用 http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-...


この時、吉田松陰23歳。
脱藩の罪で家禄没収、士籍はく奪の処分を受けていましたが、松陰の
才を惜しむ藩主の計らいにより10年間の遊学を許され、畿内を経て
江戸に出てきていたタイミングでした。



ペリーは開国と通商を求めるアメリカ大統領の国書を幕府の役人に
渡し翌年の回答の約束を取り付け、いったん退去します。



この時の責任者は主席老中の阿部正弘。

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http://www2.plala.or.jp/shyall/retuden/bakuhu.html


彼は慣例を破ってペリーの件を京都の朝廷に報告し、諸大名や幕臣らにも意見を求め、
国をあげてこの難局に当たろうとしました。


幕府が朝廷にお伺いを立てるなど未だかつてなかった事。
そして一般諸大名にまで意見を求めるなどありえなかった事なのです。


幕府というのは高く大きな山であり、天であると思いこんでいたものが
意外なことにもっと低いものであるという印象を与えたであろうことは
間違いないところです。


老中阿部正弘のとった前代未聞の対応は、勝海舟に代表されるように
身分は低くとも有能な人材が世に出る機会を与える一方で、朝廷や雄藩が
その後の幕政に関与する機会を与えることになってしまっただけでなく、
朝廷を巻き込んだ尊王攘夷運動に火をつけるきっかけにまでなってしまった
のです。


時の天皇は孝明天皇で、異人が大っ嫌いな方でしたから攘夷派には
うってつけのお神輿になりました。



攘夷熱が沸騰してきます。



1854年(安政元年)1月 ペリー再来航。
開国を強く要求します。



1854年3月 日米和親条約を締結。



この条約の内容 ①アメリカ船に食糧・燃料・水などを供給する。
        ②下田・函館を開港する。
        ③アメリカ領事を駐在させる。
        ④アメリカに対し最恵国待遇をする。



この事を知ったイギリス・ロシア・オランダとも同様な内容の条約を
結ぶことになり、200年以上続いた鎖国体制は終わりをつげました。



なんだか日本史の教科書の復讐みたいで懐かしいでしょ?



ペリーが帰途に就く直前、松陰が従者の金子重輔(しげのすけ)とともに
下田に停泊中の軍艦に小舟で近づき密航を申し入れたが断られます。
松陰この時24歳。
下田の役所に自首して出ます。



1858年(安政5年)6月 日米修好通商条約を締結。



この条約の内容 ①神奈川・長崎・新潟・兵庫を開港する。下田は閉鎖。
        ②江戸・大阪での開市。
        ③開港場でのアメリカ人の居留を認める。
        ④日米両国民の自由な通商を認める。
        ⑤日米両国の協議による関税の決定。
        ⑥アヘンの輸入禁止。
        ⑦領事裁判権を認める。



⑤、⑦などは日本を見下した不平等条約で、この条約解消の為にこの後
幕府および日本政府は辛酸を舐めることになります。



この後、ロシア・フランス・イギリス・オランダとも同様な条約を結んでいきます。




この条約の締結を決断したのは大老の井伊直弼で結局、朝廷の勅許を得ぬまま
調印してしまいます。


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http://blog.goo.ne.jp/ryuji58517/e/f778a5d1ac4d0da...


攘夷派から非難ごうごうの嵐が起こりますが、有名な安政の大獄という厳しい
反対派取り締まりを断行していきます。



吉田松陰もこの大獄で斬首されています。
この時29歳。



幕府に対する不信感も大きく膨れ上がり単なる尊王攘夷からやがて「倒幕」の考え方
が目を吹きだしてきます。



攘夷熱が沸点に達しようとしてきます。



次回へ続きます。


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